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東京高等裁判所 昭和58年(ネ)1684号 判決

控訴人 エイアイユー インシュアランス カンパニー(エイアイユー保険会社)

代表者代表取締役 エルマー エヌディキンソン ジュニア

日本における代表者 堺高基

訴訟代理人弁護士 中元紘一郎

同 牛島信

同 北澤正明

被控訴人 甲野太郎

訴訟代理人弁護士 上田稔

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、控訴の趣旨として、「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、当審において控訴代理人が左のとおり主張したほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

「一1 乙山春夫(以下単に「乙山」という。)は昭和五四年九月二日大阪空港から丙川と同一飛行便でマニラに向い、右両名はマニラ到着後は乙山の義弟であるC(別名D、以下「C」という。)とともに三人でマニラ市のタワー・ホテルに宿泊した。Cは、乙山と丙川が日本を発つ直前の同年八月三〇日タワー・ホテルに宿泊し、同三一日には沖縄にいた乙山と国際電話をかけている。丙川は同年同月五日午前二時四五分ころという異常な時刻にタワー・ホテルからマニラ・ヒルトン・ホテル(殺害現場)に移っており、丙川が持っていた筈の五〇〇万円が紛失している。

また、丙川は、昭和五四年七月ころ被控訴人の命令で沖縄に行き、銃撃を受けて命を落しかけたし、マニラに行く直前、被控訴人から宝石密輸のために行くことを命ぜられていた。

乙山、Cらは丙川が死亡した九月六日タワー・ホテルを去って、Cは行方不明となり、乙山は同日帰国している。

右のような事実と乙山と被控訴人が次の2で述べるような親密な関係にあることを併せ考えると、乙山、Cが丙川の死亡に直接関与し、被控訴人も深く関っていると推認すべきである。

2 被控訴人は、昭和五四年五月ころ沖縄に行き乙山と会っているのみでなく、同年六月ころ乙山が和歌山に被控訴人を訪ねており、更にその頃被控訴人は沖縄に行き乙山の知人と連絡をとっている。

右事実によれば、被控訴人と乙山の関係は深く、丙川の殺害について連絡をとりあっていたと推認すべきである。

3 被控訴人は、丙川がマニラに出発する直前に、特別の理由もないのに五〇〇万円の大金を丙川に貸与し、大阪空港に赴いていること、乙山と丙川はマニラへの出発の際大阪空港で知合って以後行動を共にしたが、これは被控訴人、乙山らの計画したことであると考えるほかないこと、乙山、丙川らのマニラ行きの目的やマニラでの仕事、行動についての乙山の供述は合理性を欠いていること等が明らかである。

4 以上のような諸事実によると、乙山が丙川の殺害に直接関与していること、被控訴人と乙山が密接な関係にあり、丙川の殺害について共犯関係にあったこと等について「一応の推定」が成り立つというべきである。

二 保険金支払義務の免責事由である「保険契約者(又は保険金受取人)の故意」は保険者(保険会社)である控訴人の立証責任に属する事項であるが、本件においては、保険制度の趣旨、立証責任分配の法理に鑑み、前述のような「一応の推定」が成り立てば足り、それ以上傷害(殺害)に関する具体的事実の詳細についての立証は不要であるというべきである。

1 本件傷害保険は、被保険者の雇主が保険契約者となっている射倖的なものであり、いわゆる保険金殺人の温床となりやすいものであり、現にそのような犯罪が多発している。このような形態の保険において「保険契約者(又は保険金受取人)の故意」について保険者に刑事裁判におけるような厳格な立証が必要だとすると、多くの場合立証は不可能となって保険金が支払われることとなり、保険の悪用が助長されるのみならず、事故の発生率をもとに保険料が定まり、保険金が支払われる保険制度の根幹が揺るがされることになる。

2 本件では、保険契約者(保険金受取人)である被控訴人に被保険者丙川殺害の疑いがあり、右殺害について捜査手続が未了等の理由により捜査資料の利用ができない事情がある。かゝる場合は「一応の推定」で足りると解すべきである。第一に、捜査手続が進行していないといっても外国で行われた犯罪についての捜査の困難を考えると、捜査手続が進行してないからといって犯罪が存在しないとはいえないのである。第二に、刑事裁判では「合理的な疑いを容れない程度」の証明が必要とされるが民事裁判では「証明の優越」又は「明白で納得的な証明」で足りることに留意すべきである。第三に、公訴提起前の捜査資料は民事裁判で利用することはできず、一私企業において証拠を蒐集することは不可能であることを考慮すべきである。なお、一審判決は「警察が……捜査にあたったが……確たる証拠は発見されず……強制捜査は行われていない」ことを判断の基礎としているが、刑事手続の不存在を民事裁判の判断の基礎とすること、特に強制捜査の不存在に着目することは誤りである。」

《証拠関係省略》

理由

当裁判所もまた、当審において取調べた各証拠を斟酌しても、被控訴人の本訴請求は原判決が認容した限度で正当として認容すべく、その余を失当として棄却すべきものと判断する。その理由は、次に加除、訂正するほか原判決の理由説示と同一であるから、これを引用する。

1  《証拠付加省略》

2  原判決八枚目表五行目「乙山春夫と」から同九行目「措信し難い。)」までを削除する。

3  原判決九枚目表六行目「等の少なから」から同一〇行目末尾までを次のとおり改める。

「更に、《証拠省略》によれば、被控訴人と乙山春夫とはかねて面識があったばかりでなく、親密な交遊関係にあったことが窺え、被控訴人及び乙山春夫のこのことを否定する供述は信用しがたいのであって、このことは後述のように抗弁2(一)の事実について疑惑を深かめるには十分であるものの、他の事情と総合しても疑惑の域を超えて更に右事実を推認させるにはなお未だ不十分であると言わざるを得ない。結局、本件全証拠によるも、右抗弁事実を肯認するには足りない。」

4  当審における主張に関連して左のとおり附加する。

「(一) 控訴人は本件においては、保険金支払義務の免責事由である「保険契約者(又は保険金受取人)の故意」について保険者である控訴人の立証責任は「一応の推定」で足りると解すべきである旨るる主張する。

右主張には傾聴すべき点があるが、しかし、保険約款上特にその立証責任について一般と異なり「一応の推定」で足りることが明白に規定されていない以上、保険者の立証責任を右のように軽減して解することは、許るされもしないし、相当でもないといわなければならない。けだし、傷害保険においては、おおむね不慮の事故が対象となっているのであり、保険者の右の点についての立証責任が右のように軽減されたものであると解することは、保険金受取人の利害に重大な影響を及ぼすものであるから安易な解釈はすべきでないし、事案ごとにその立証責任の軽重が別異となるようではその保険制度についての基本的信頼をもゆるがすことになるからである。

(二) 右故意について、民事裁判の一般の証明程度である「証明の優越」又は「明白で納得的証明」で足りるとする控訴人の主張は正当であると肯認することができるのであるが、しかし、本件においては、その程度の証明にもなお遠く不十分であるといわざるを得ない。

すなわち、本件証拠によると、被控訴人は従業員にすぎない丙川に三億円という巨額の保険をかけていること、丙川は目的もはっきりしないのに突如マニラ市に出かけていること、被控訴人は丙川に五〇〇万円も渡し、大阪空港まで行っていること、丙川は、大阪空港で沖縄に居住していた乙山と出会い、マニラ市に同行し、タワー・ホテルで乙山の義弟Cと三人で同宿し、殺害される直前まで一緒にいたこと、夜半に殺害場所であるマニラ・ヒルトン・ホテルに移動したこと、乙山は丙川死亡後直ちに帰国していること、被控訴人と丙川は面識、交友があり、被控訴人が沖縄に赴き乙山に会ったり、乙山が和歌山へ被控訴人を訪ねたりしたこと等が認められるのであり、これらの事実によると、被控訴人、乙山らが丙川を殺害したか、これに関っていたことについては、濃い疑惑があるということができるが、右諸事実その他本件における全証拠によっても、乙山が丙川を殺害したことや被控訴人が丙川の殺害に関与したことについてこれを推認することができるとか認められると判断することは到底無理であるというほかない。また、丙川の死亡が犯罪又は闘争行為によるものであると認定又は推認するに足りる証拠もないといわざるを得ない。なお、《証拠省略》によると、被控訴人や丙川が交通事故により傷害保険金を受領したことのあることは認められるが、このことを勘案しても右判断は変らない。

(三) また、控訴人は、《証拠省略》等を添付して口頭弁論の再開を申立て、戊田の証人尋問等を求めているが、前述の判断を左右するに足りるものとは考えられず、再開することは相当でない。」

そうすると、原判決は相当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田尾桃二 裁判官 南新吾 根本眞)

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